Center of the Universe
Center of the Universeはどこにあるんだろうっていう話。
日本語について話す機会が友人と会った。
イタリア人とフランス人と話していた。
言語の話になり、日本語についても話してみた。
そういえば、日本語ってあまり "I"を言わないですよね。
今日例えで、
I want to go to the sea.を日本語の語順に並べてみると
I the sea to go want.になると言ったら、二人とも驚愕していた。
目的語が先になる。
そして、普段、「私は海に行きたい!」なんてあんまり言わないですよね、
どっちかというと、「海に行きたい!」と、「私は」を抜いて話すことの方が俄然多いですよね。
「私は海に行きたい!」と言う時、他の人がいて、みんなと違う意見だから、かつ結構強目な意思表示感ありますよね。
そのことを伝えたら、
”I”を言わないなんて、center of the universe なのに。と言われました。
逆に私はこれに驚愕。
何かを話す時、何かをする時、文脈やその周りの環境に影響されて、言葉や行動を起こすということが多い日本文化だな、と気づかされました。
こんなことたくさんの人が本とか文章にしてるんだろうけど、
身をもって実感、体感。
日本文化(って言ったら大げさだけど、)の真ん中には何があるんだろう、と。
気になってしまった。何があるの?
と帰りの電車の中で考えていたら、
あっそういえば、東京の都市も真ん中が空っぽ(実際には森)、ドーナツだとか言われてるなぁと思い出した。
都市構造(東京)においても、真ん中が空という構造。
きっと「間」っていう概念もそうだけど、一見何もないところに、これっていう明確ではないんだけど、あらゆるニュアンス的なものが詰まっていて、それこそはっきり見えるものより、超濃密なものが詰まっているのだろう、とさらっと思う。
もっと考えたい。
とにかく、海外生活を送っていく中で思うのは、マジで良い意味で、みんな自分が中心。
驚くほどに自分が中心。いわゆる自己中心的で嫌な感じっていうわけでは決してない。
自分のやりたいこと、自分のスケジュール感で動く皆々様。
最近は慣れてきたし、自分もそういう感じで行けば良いのだな、とか思うようになったけど、
この話をして、彼らの行動について思い返してみると、かなり腑に落ちる。
ウケる。
こういった日本文化の違いについて書かれている本とかたくさんあるのは知ってる。
けど、身をもって体験すると、なんていうか、な。
Center of the Universe ねぇ。
中心があるから周りがあるわけで(本当にそうか?)。
私にもあるんだろうけど、な。
日本文化を基礎として生きている人はどう思っているんだろう?と思った。